榎本昭二先生ご寄稿

榎本昭二先生(東京医科歯科大学名誉教授・インプラント治療部初代部長)より同門会会員・現役医局員に向けたご寄稿をいただきました。
インプラント治療部発足に至る経緯や当時の様子,現在まで続く榎本先生のインプラント治療に対する深い想いを私たち後輩に伝えて下さっております。

~榎本昭二先生・ご寄稿~
『インプラント治療部事始め』

 平成のはじめの頃,エナメル上皮腫や癌で下顎骨切除と骨移植による顎骨再建の症例にしばしば遭遇した。手術は成功し,容貌も恢復し延命効果もあるのだが,術後の入れ歯がうまく入らないで困っていた。要は噛めないので流動食にたよることになり,患者のQOLを満足させることができないのである。
その頃,スウェーデンからブローネマルクインプラントが日本に入ってきた。最初はホーンマルク紀子さんの講演などを聞いていたが,そのうち,イエテボリ大学のシェルシュトレーム教授のセミナーがブローネマルクのライブオペ付きであることを知り,早速セミナーに参加した。
下顎骨切除後,残っている母骨や移植骨にインプラントが埋入できれば,今よりましな入れ歯ができるのではないかと思い,インプラント治療に興味をもった。
顎切除後の患者にインプラントを応用するにはどこにインプラントを埋入したらよいか皆目見当がつかない。ノーベルファルマに行ってスウェーデンの先生に相談した。当時滞在していたヤンセン先生に「おまえはどうしてこんなにむずかしいケースから始めるのか」と叱られたのを覚えている。
うまくいったり,うまくいかなかったりで当時10数例の患者さんに応用したが,費用は学用か研究費で賄っていたと思う。
平成8年1月,医歯合同の教授会新年会のおり,大山先生から,今年の10月にインプラント治療部を新設するので治療部長をお願いしたいと申された。その申し出では,確か有給の席が2つと医員が1つであった。
インプラント治療部は歯科の総合力.だがら,口腔外科,補綴科,と歯周病科の3つが欠くことのできない分野である。当時,小木曽先生と一緒にインプラント治療をしていた塩田先生と口腔外科の知識を有する立川先生にお願いし,石川教授のところから岡田先生を加えて治療部のメンバーとすることにした。1996年6月ITIの国際シンポジウムがスイスのバーゼルでありそれを機会に,当時ジュネーブのブーザー教授のもとに留学していた塩田先生に会うため,立川先生と一緒に尋ねた。レマン湖の畔のレストランでインプラント治療部の将来を話合った。とりあえず,塩田先生がITIを,立川先生がブローネマルクインプラントを使うことになった。立川先生はこのあとイエテボリのレックホルム教授とベスララースのクレクマノフ教授をたずねた。それ以降,1996年10月にインプラント科は正式に発足した。
現在の沢山の医局員をみると隔世の感がある。私が常々申しているように,医科歯科大学のインプラント科は患者が多いのは当たり前のことで,何本インプラントを入れたかは問題外だ。
いつかは,医歯大発の何かを生み出すことが医局の人の使命と考えている。

榎本 昭二

0001